育児

保育園で「目が小さいとね」と言われた息子に、何と言ってあげれるのか。

going to kindergarden

息子からの相談。

晩ごはん前のことである、息子と私はすでにテーブルに座っていた。
晩ごはんは保育園でどんなことがあったかよく話していた。
今日は少し様子が違う、うつむきかげんで私に話してきた。

息子:「今日保育園で目が小さいって言われた。

それ以上の説明はなかったが、様子を見る限り
言われて嫌だったのだろう。
目が小さい私に似て、息子も目が小さい。
とっさに、両手の親指と人差し指で両目を広げながら

私:「父親の目が小さいせいだよ、○○(相手の名前)は目が大きいな

と言った。このように対応してみたらどうだという私なりの
回答であった。

息子は笑っていたが、私が変な行動を見ての面白がっていただけかもしれない。
目が小さいのは父親のせいだからという言い訳を、
息子の逃げ道にできればと思っての発言。
しかし、この回答でよかったのだろうかと心残りであった。

父も小さい頃からイジられてきた。

私も目の小ささについてイジられた記憶がある。
私の対処法は、目の小さいことをネタに冗談っぽいことを
いってその場をとりつくろうこと。
目についてイジられるのは正直嫌であったが、
怒ったりして嫌という感情を表面に出し、
その場の空気が悪くなるようなことはしたくなかったからである。


今思うと自分は弱い立場の人間として生きてきたと思う。
自分の言いたいことが言えない立場であったからだし、
その弱い立場からも逃れようとしていなかったからである。

幸い、私は勉強はできたほうであった。
それなりの大学に進学、それなりの会社に務めることで
目の小ささをイジってくるような人は周りからは
いなくなっていった。

私はコンプレックを乗り越えたわけではなく、
コンプレックを目の当たりにする機会がなくなっていいただけだった。
このコンプレックスの取り扱い方を確立しないと、また心の
引っ掛かりを感じてしまうかもしれない。

大人になってからコンプレックスについて考えてみる。

目が小さく生まれてきたことは、変えられない。
変えられないことについてくよくよ考えるのは時間の
無駄ということは理解している。しかし、息子に
相談をうけた時、心のざわつきを感じてしまった。
どのようにして、このコンプレックスを処理すればいいのだろうか。


ここで、りんごとみかんを並べて比較してみることにする。
大きい方に価値があると判断するだろうか。
糖度を測定したり、購入時の値段など比較することはできる。
しかし、そんなものでりんごとみかんの好き嫌いはわかれるのだろうか。 
りんごはりんごがみかんはみかんがもつ特有の味、食感やのどごしなど、
食べてみてようやくわかることで、好き嫌いを判断していないだろうか。
人間の好き嫌いも同じような考えができると思う。


目の大きい、小さいでわけると私や息子は小さいグループに
分けられることは避けようがない事実である。
しかし、その1つだけの基準によって人の優劣が決まるわけではない。
もっと人間としての味わいをもっと大切にしなければならない。

息子に伝えられること。

父親から息子に伝えれることを整理してみた。

①視野がせまくなっている
目が小さいことを気にするのは、視野が狭くなっていると
伝えることができる。人の価値は外見によって決まるものではない。
目が小さいと言ってきた人の価値判断に振り回されて
自分の良さを見失わないこと。

②人を好きになる理由はどこか
人を好きになる理由は、楽しいとか元気がもらえるなど、
一緒に遊んで分かち合える良さよるところが大きい。
友達が息子と一緒にいて、良かったと思えることはなにか。
それについて、考えてみること。

③父親との繋がりを感じることができないか
目が小さいことは、父親から息子に受け継いだことで
父親との繋がりを示す特徴の1つであること。
父親のことを好きならば、目が小さいことも好きになれないだろうか。

③の父親との繋がりについては、大きく出た感が否めない。
きっと息子は、母親に似たら良かったなど言ってくるに違いない。
しかし、それで夕食中に笑いの1つが生まれたら儲けもんである。
目が小さいことを使って、笑いを取ることも私の味わいの1つのだろうと思った。

カテゴリー

-育児
-,